農業補助金を全部やめた国がある——ニュージーランドが1984年に選んだ道と、その後
結論
- 1984年、ニュージーランドの第四次労働党政権は「ロジャーノミクス」の一環として農業補助金をすべて廃止した。廃止前の1980年代初頭、政府支援は一部農家の収入の40%を占めていた。
- 廃止後も農業は崩壊せず、欧州や米国の補助金市場に対抗するために農家は自力で生産効率を高め、1990年までにニュージーランドの農業は同国で最も規制緩和が進んだセクターとなった。
- 2019年6月までの12か月間における農産品の輸出額は464億NZドルで、輸出総額の79.6%を占める。現在、ニュージーランドは先進国の中で唯一、農業に対する補助金・税制優遇・価格支持をまったく持たない国として知られる。
補助金が生まれた背景——英国のEEC加盟と1970年代の農家支援
ニュージーランドの農業補助金の歴史は、英国が欧州経済共同体(EEC)に加盟したことと深く結びついている。それまでニュージーランドは農産品の主要輸出先として英国に大きく依存していた。英国のEEC加盟は、ニュージーランド産農産品が英国市場で享受していた優遇を消し去り、輸出環境を一変させた。
この打撃を緩和するために、ニュージーランド政府は1970年代から農家への補助金を導入した。価格支持・税制優遇・各種助成がつぎつぎと積み重なり、1980年代初頭には政府支援が一部農家の収入の40%を占めるまでになっていた。農業は事実上、市場競争から切り離された保護された産業となっていた。
農家が補助金に依存するほど、産業全体が自律的な市場対応力を失っていく。輸出競争力を高める技術投資よりも、補助金の受給要件に合わせた経営判断が優先されるようになる。この構造は、1970年代後半から1980年代前半にかけてのニュージーランド農業全体に広がっていた。
ニュージーランドは農業が基幹産業の国だ。農業・林業・漁業は国民生活と輸出経済の中核を担ってきた歴史があり、「農業はニュージーランド経済の背骨」という表現が繰り返し使われてきたほどだ。その産業への補助金が国家財政の重荷となる一方で、保護された農家はより大きな変革のコストを先送りし続けていた。
ロジャー・ダグラスという人物——改革を推し進めた財務大臣
1984年の改革を理解するうえで、ロジャー・ダグラスという政治家の経歴を押さえておく必要がある。
ダグラスは1969年の総選挙で労働党の議員として初当選した。議員として初の演説で外国投資の規制を訴え、当時の労働党の典型的なスタンスである国内産業保護・政府介入を支持していた。1972年から1975年の第三次労働党政権では閣僚を務め、革新的な政策立案者として名を上げた。放送大臣として、公営のテレビ局2チャンネルが互いに競争する仕組みを考案したこともその一例だ。
しかしダグラスは、1970年代後半から1980年代にかけて、自身の経済観を大きく転換させていく。戦後の政治的合意——高い保護主義・完全雇用の維持・大きな政府——が表面上の安定をもたらした一方で、経済のイノベーションを妨げてきたと見るようになった。ニュージーランドは他の先進国に比べて生活水準が相対的に低下しており、1980年の時点でダグラスは「ニュージーランドは借金で生きている国だ、輸出業者の並々ならぬ努力にもかかわらず」と語っている。
1980年、ダグラスは党の公式方針とは別に「代替予算」を発表し、20年にわたる既得権益への迎合が生産的な投資を妨げてきたと論じた。これは労働党指導部の批判を招き、当時の党首ビル・ローリングが公開の場でダグラスを叱責するほどだった。それでもダグラスは考えを撤回せず、著書にまとめた。その著書ではドルの20%切り下げなど急進的な提案が並んでいたが、当時はまだケインズ主義的な政策の틀を完全には捨てていなかった。
1984年の総選挙で労働党が政権を奪取したとき、ダグラスが財務大臣に就任した。ここから1988年まで、「ロジャーノミクス」と呼ばれる改革が実行されていく。
ロジャーノミクスとは——改革の全体像と農業補助金廃止の位置づけ
「ロジャーノミクス」という言葉は、1985年2月に雑誌『ニュージーランド・リスナー』のジャーナリストたちが作った造語だ。「Roger(ロジャー)」と「economics(経済学)」を合成したもので、米国の「レーガノミクス」と同じ命名パターンを踏んでいる。
ロジャーノミクスが掲げた政策は多岐にわたる。農業補助金の廃止はその一部に過ぎない。
| 政策 | 内容 |
|---|---|
| 為替レートの変動制移行 | ニュージーランドドルを20%切り下げ、変動相場制を採用 |
| 農業補助金の全廃 | 価格支持・税制優遇・各種補助をすべて廃止 |
| 産業補助金の削減 | 農業以外の産業への補助金も縮小 |
| 輸入関税の引き下げ | 国内産業を守ってきた関税保護を段階的に縮小 |
| 国有企業の法人化 | 国有事業を競争原理にさらすために株式会社形態へ転換 |
| 税制改革 | 物品サービス税(GST)を当初税率10%で導入。所得税も引き下げ |
| 財政赤字の削減 | 均衡財政に向けた支出削減 |
これらはすべて、戦後ニュージーランドが維持してきた「高い保護主義・政府介入・完全雇用」という政治的合意からの急転換を意味した。シカゴ学派の経済学の影響を受けた「小さな政府」「自由市場」「均衡財政」の考え方が、労働党政権という歴史的に左派の政党によって実行されたことは、強い論争を呼んだ。農業補助金の廃止は、この包括的な改革パッケージの一部として位置づけられる。ドルの20%切り下げは輸出農産品の国際競争力を短期的に支え、関税削減は農業生産コストを下げる効果を持った。補助金廃止だけが孤立して実施されたのではなく、他の政策と組み合わさって機能した面がある。
1984年の廃止——農業補助金はどう消えたか
1984年、労働党政権は農業補助金をすべて廃止した。価格支持も税制優遇も打ち切られた。
農家の側から見れば、急激な政策転換だった。収入の40%を占めていた補助金が消え、農家は初めて市場価格だけを指標に経営判断を迫られることになった。
廃止のタイミングは農家にとって決して有利ではなかった。欧州と米国は引き続き自国農業に手厚い保護をかけており、ニュージーランドの農家は補助金を受ける競合国の農家と同じ市場で戦わなければならなくなった。欧州・米国の補助金漬けの農産品と価格で張り合うために、ニュージーランドの農家は生産効率の向上しか選択肢がなかった。
なぜ廃止を実行できたのか。出典が示す事実の範囲で整理すると、政治的意志の強さと、改革全体の一貫性が浮かび上がる。ダグラスは農業補助金廃止を孤立した施策としてではなく、ドル切り下げ・関税削減・国有企業改革と連動した包括的な経済改革の一部として断行した。また、1970年代からの保護主義体制がすでに経済的な行き詰まりを生んでいたという共通認識が、急進的な転換を許容した土壌でもあった。
廃止後の農業——農家は何をしたか
補助金廃止後、ニュージーランドの農業は崩壊しなかった。
農家は欧州や米国という補助金漬けの市場と競うために、自力で生産効率を高める道を選んだ。補助金がなければ立ち行かない経営体が淘汰される一方で、市場に適応した農家は競争力を高めていった。1984年の廃止から1990年までに、ニュージーランドの農業は同国の中で最も規制緩和が進んだセクターとなった。これは農業だけが特別に市場化されたのではなく、ロジャーノミクスが産業全体に広げた規制緩和の中で農業がとりわけ徹底した形で変化した結果だ。
農業の構成も変化した。羊の飼育頭数は1980年代にピークを迎えた後、ウールの収益低下などを背景に減少に転じた。ウール価格の下落が経営を圧迫する中で、農家は収益性の高い品種や産業へのシフトを進めた。一方、酪農は拡大を続け、2019年6月時点でニュージーランドには626万頭の乳牛がいる。酪農の雇用者数は2018年の国勢調査時点で3万9264人に上り、全就業者の1.6%を占め、国内10番目に大きな雇用産業となっている。
この変化は、補助金があった時代には起きにくかった産業内の再配分が、補助金廃止によって促進された一例として読むことができる。
現在のニュージーランド農業——数字で見る規模
補助金廃止から30年以上が経過した現在、ニュージーランド農業の規模を示す数字がある。
2019年6月までの12か月間に、ニュージーランドが輸出した農産品(原材料・加工品の合計)の金額は464億NZドルに達した。これは同国の輸出総額の79.6%に相当する。農業は今もニュージーランド経済の中心にある。
農業・林業・漁業セクターは、2020年9月までの12か月間で国内総生産(GDP)の5.1%、金額にして126億5300万NZドルを直接生み出した。2018年の国勢調査時点で同セクターの雇用者数は14万3000人、全就業者の5.9%を占める。
| 指標 | 数値 | 時点 |
|---|---|---|
| 農産品輸出額 | 464億NZドル | 2019年6月までの12か月 |
| 農産品輸出の輸出総額に占める割合 | 79.6% | 同上 |
| 農業・林業・漁業のGDP寄与額 | 126億5300万NZドル(5.1%) | 2020年9月までの12か月 |
| 農業・林業・漁業の雇用者数 | 14万3000人(5.9%) | 2018年国勢調査 |
| 乳牛頭数 | 626万頭 | 2019年6月時点 |
そして、ニュージーランドは先進国の中で唯一、農業部門の補助金・税制優遇・価格支持をまったく持たない国であり続けている(2017年時点でも、政府はインフラへの投資という形で農業を支えているが、農家への直接支払いはない)。この事実は今日、同国が加盟するケアンズ・グループ——農産品の自由貿易を求める農業輸出国の連合——の立場とも一致している。
ロジャーノミクスの評価——功と罪は切り離せない
農業補助金廃止の結果だけを取り上げれば、数字の上では農業が生き残り、輸出産業として機能し続けたことは確かだ。しかしロジャーノミクス全体の評価は単純ではない。
支持者が挙げる成果は、インフレの一桁台への抑制と税率の引き下げだ。規制緩和と市場開放が経済の非効率を解消し、国際競争力を取り戻したという評価だ。批判者が挙げる代償は、貧困と失業率の上昇という社会的な問題だ。急激な構造転換は、変化に対応できなかった農家や労働者にとって深刻な打撃となった。改革の恩恵が社会全体に広がったわけではなく、負担が特定の層に集中したという批判は根強い。
ロジャーノミクスの遺産はニュージーランドの経済政策の議論を今も形作り続けている。農業補助金廃止は、その遺産の一部として、功罪ともに語られる。
まとめ——日本の制度を考えるうえでの示唆
1984年のニュージーランドは、農業補助金の全廃という先進国では例を見ない決断をした。英国のEEC加盟による輸出市場の喪失、補助金依存で積み重なった農業構造の非効率化、そしてロジャー・ダグラスという政治家の急進的な経済思想が重なったとき、改革は実行に移された。
廃止後も農業は生き残り、国際競争力を持つ輸出産業として機能し続けている。先進国の中で唯一の「農業補助金ゼロ」の国として30年以上が経過し、農産品輸出は輸出総額の8割近くを占める。これは、補助金がなくても農業は存続できるという一つの事実として残っている。
日本の制度を考えるうえでは、補助金の有無という二択よりも、「補助金が農家の自律的な経営能力をどう変えるか」「支援の出口をどう設計するか」という視点がより示唆に富む。収入の40%を占めていた補助金を失いながら、欧州・米国の補助金漬けの農家と競い続けたニュージーランドの農家の歩みは、支援の終わりを前提とした農業政策を考えるうえで、一つの参照点となる。
出典
よくある質問
Q. ニュージーランドが農業補助金を廃止したのはいつですか?
A. 1984年に、第四次労働党政権が「ロジャーノミクス」と呼ばれる経済改革の一環として廃止しました。廃止前の1980年代初頭には、政府支援が一部農家の収入の40%を占めていました。廃止から1990年までに、農業はニュージーランドで最も規制緩和が進んだセクターとなりました。
Q. 廃止後、ニュージーランドの農業はどうなりましたか?
A. 崩壊せず、農家は自力で生産効率を高めて国際競争力を維持しました。2019年6月までの12か月間の農産品輸出額は464億NZドルで、輸出総額の79.6%を占めています。現在もニュージーランドは先進国で唯一、農業補助金を持たない国です。
Q. ロジャーノミクスとはどのような改革でしたか?
A. 1984年から1988年まで財務大臣を務めたロジャー・ダグラスが推し進めた経済改革の総称です。農業補助金廃止のほか、ドル20%切り下げ・関税削減・国有企業の法人化・物品サービス税(当初税率10%)の導入などを含む包括的な自由化政策で、「小さな政府・自由市場・均衡財政」を掲げました。
Q. ニュージーランドの農業は現在どのくらいの規模ですか?
A. 農業・林業・漁業セクターは2020年9月までの12か月間でGDPの5.1%(126億5300万NZドル)を生み出し、2018年の国勢調査時点で14万3000人(全就業者の5.9%)を雇用しています。農産品輸出は2019年6月までの12か月間で464億NZドルに達し、輸出総額の79.6%を占めます。
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