補助金の
番外編『世界の補助金から』

ガソリンが水より安い国々——産油国「燃料補助金」の狂気とジレンマ

執筆:小嶋 譲司株式会社TOE 代表取締役 読了 約12情報時点:2026年8月9日
ガソリンが水より安い国々——産油国「燃料補助金」の狂気とジレンマ

結論

  • リビア・イラン・ベネズエラのガソリンは1リットルあたり数円で、日本のペットボトル水より安い。これを支えるのが政府による巨額の燃料補助金だ。
  • 補助金は財政を静かに食いつぶす。IMFによれば世界の化石燃料補助金は2022年に総額約7兆ドル(明示的なものだけで約1.3兆ドル)に達し、2024年の明示的補助金は約7,250億ドルと推計されている。
  • 「一度配った安さ」は取り上げられない。イラン(2019年)もエクアドル(2019年)も、補助金を削った途端に大規模な抗議・暴動が起き、死者まで出た。

水より安いガソリン、という現実

補助金の論理を追いかけていると、世界にはとんでもない事例が転がっている。その最たるものが「ガソリンが水より安い国」だ。これは比喩でも誇張でもない、生きたデータが示す現実だ。

GlobalPetrolPrices.comの2026年7月20日時点のデータによれば、リビアのガソリンは1リットルあたり約0.023ドル、イランは約0.029ドル、ベネズエラは約0.035ドル。1ドル=約155円(概算)で換算すると、それぞれ約3.6円・約4.5円・約5.4円だ。

日本のコンビニで500mlのミネラルウォーターを100円で買えば、1リットルあたり約200円。リビアでは水1リットル分のお金でガソリンを50リットル以上入れられる計算になる。タンクを満タンにしても、日本の自販機で缶コーヒーを1本買う値段にもならない。この落差が「数円のガソリン」の現実だ。

日本でも毎年数千億円規模の補助金が中小企業や個人事業主に配られているが、その原資・目的・仕組みは産油国のそれとは根本から異なる。両者を並べて眺めると、「補助金」という言葉が指し示す制度の幅広さが見えてくる。日本の補助金制度の基礎を知りたい方ははじめての方へもどうぞ。

なぜそんなに安いのか——燃料補助金という装置

この「数円のガソリン」は、市場が決めた価格ではない。政府が税収やオイルマネーを投じて、燃料の小売価格を人為的に低く抑えている。これが「燃料補助金」の本質だ。

産油国にとって、安価な燃料は国民への最も分かりやすい「恩恵の配布」であり、事実上の生活保障として機能する。石油は国の資源であり、その果実を国民に還元するのは当然だという論理は、産油国の政治文化に深く根付いている。指導者にとっては、補助金を維持することが政権の正統性に直結する場面も多い。

しかし補助金の財源は永遠には続かない。油価が高いときは余裕があっても、下落すれば一気に財政が逼迫する。産油国であっても、補助金は青天井には維持できない——にもかかわらず、削れない。ここに産油国が陥る根本的なジレンマがある。

ベネズエラでは、崩壊的なインフレと経済危機が続く中でも燃料価格は世界最安水準を維持してきた。国民生活のほぼすべてが機能不全に陥っていても、「ガソリンだけは安い」という状態が続いた。これは政策の合理性ではなく、政治的に削れないものを削れないまま積み重ねてきた結果だ。

「明示的」な補助金と「暗示的」な補助金

IMFが示す化石燃料補助金の試算には、二つのカテゴリーがある。この区別を知ることで、補助金がいかに大きな問題かの実態がより鮮明になる。

明示的な補助金は、政府が燃料の供給コストを下回る価格で販売することで生じる直接の財政支出だ。生産コスト・輸送コスト・適切な利益を合わせた「市場価格」より安く売るためのつけを、政府が穴埋めする。IMFの推計では、2022年の明示的補助金は全世界で約1.3兆ドル。2024年時点では約7,250億ドルと推計されている。油価の変動によって数字は動くが、桁は変わらない。

暗示的な補助金は、CO2排出による気候変動への影響、大気汚染による健康被害、道路渋滞の外部コストなど、燃料消費に伴うさまざまな社会的損失を「本来は課税で回収すべきコスト」とみなし、それが課税されていない分を補助金として計上するものだ。IMFの試算では、2022年の暗示的補助金を含む総額は約7兆ドル(世界GDPの約7.1%)に達する。

この二つの違いは重要だ。明示的な補助金だけを見ても天文学的だが、暗示的コストを含めると規模は何倍にも膨らむ。「数円のガソリン」は、見えないコストを大量に積み上げた上に成り立っている。そして見えないコストは、環境・健康・将来世代が肩代わりする形で社会全体に分散されていく。

国別ガソリン価格くらべ

産油国の「異常な安さ」を、日本と並べてみる。

ガソリン価格(USD/L)円換算(1ドル155円・概算)日本との比
リビア約0.023約3.6円約47分の1
イラン約0.029約4.5円約38分の1
ベネズエラ約0.035約5.4円約31分の1
クウェート約0.327約50.7円約3.3分の1
サウジアラビア約0.338約52.4円約3.2分の1
日本(参考)約1.10約169.9円1

※価格はGlobalPetrolPrices.com(2026年7月20日時点)、日本はレギュラー全国平均(2026年7月)を参照。為替・価格はいずれも当時の概算。

同じ産油国でも、サウジアラビアやクウェートは日本の3分の1程度で、リビア・イラン・ベネズエラの「数円」とは桁が違う。この差が、各国の補助金政策の深さを如実に映している。

サウジアラビアは2016年のヴィジョン2030改革の一環として、国内燃料価格を段階的に引き上げる政策を打ち出した。改革後もなお日本の3分の1以下の水準に留まるが、「少しずつ上げる」というアプローチで激しい反発を抑えた。一方リビアやベネズエラは政治的混乱もあって価格抑制が続き、「数円」のまま今日に至っている。段階的改革と突然の削減では、社会の反応がまるで異なる。

補助金はいったい誰を助けているのか

燃料補助金は「貧しい人を助ける」という名目で語られることが多い。しかし実態を掘り下げると、必ずしもそうではない側面が強い。

燃料を多く使うほど補助の恩恵が大きくなるという構造上、複数の車を所有し、長距離を移動し、大量のエネルギーを消費する富裕層や企業が、より多くの補助を受け取る。徒歩・バスを主な移動手段とする低所得層は、相対的に恩恵が少ない。大きな家で冷暖房を大量に使う家庭の方が、小さなアパートに住む人より多く得をする。

IMFをはじめ多くの国際機関が「燃料補助金は逆進的(regressive)だ」と指摘するのはこのためだ。逆進的とは、所得が高い人ほど多くの恩恵を受ける仕組みのことを指す。

しかし政治的には「全員が安いガソリンを享受できる」という平等感が前面に出る。燃料補助金は、不平等な恩恵を「みんなの権利」という包装紙で配る仕組みだ。だからこそ削減が困難になる——特定の受益者を守っているわけではなく、「全員の権利」を奪う話になってしまうからだ。支持者も反対者も「全員が損をする」という構図が成立し、反発は最大化する。

安さは環境破壊も補助する

燃料が安ければ、人は使う。当然の帰結だが、その結果として産油国の一人あたりエネルギー消費量は世界平均を大幅に上回る傾向がある。

安い燃料は、燃費の悪い古い車を使い続けるインセンティブになる。「どうせ安いから」と大量に消費しても気にならない。電気自動車や省エネ機器への買い替えが、価格面から正当化されにくくなる。産油国が自国のCO2排出削減にコミットしようとしても、燃料補助金がその足を引っ張る。

世界が気候変動対策として化石燃料依存から脱却しようとしている流れの中で、燃料補助金は真逆の方向を向いている。補助金が環境コストを無視しているから「暗示的補助金」のコストが莫大になる、という構造は、制度設計の失敗を象徴している。

補助金は特定の行動を促進する道具だ。燃料補助金は「たくさん使う」という行動を促進する。出口を設計しなかった補助金が、環境と財政という二方向から同時に社会を圧迫していく。この皮肉は、補助金設計の教訓として重く受け止める必要がある。

「安さ」を取り上げた途端、街が燃えた

財政を圧迫する補助金を削減しようとした政府は、幾度も激しい反発に直面してきた。代表的な二つの事例を詳しく見る。

イラン(2019年11月):政府は突然、ガソリンの配給制導入と価格引き上げを発表した。私用車は月60リットルまで、価格は1リットル15,000リアルへ(約50%上昇)、配給を超える分は30,000リアルとされた。発表の翌朝から全国的な抗議が始まり「血のアバン(Bloody Aban)」と呼ばれる大規模な暴動に発展した。死者数は情報源によって大きく食い違い、アムネスティ・インターナショナルは少なくとも321人、ロイターはイラン当局筋として約1,500人、イラン議会の委員会関係者は230人と述べたと報じられている。

なぜここまで激しくなったのか。単なる値上げへの反発ではなく、「何の前触れもなく、一夜にして生活コストが跳ね上がった」という裏切り感が怒りに点火した。ガソリン価格は輸送費・食料価格・光熱費に連鎖するため、「ガソリンが上がる」は「あらゆるものが上がる」を意味する。さらにイランでは、経済制裁による長年の生活苦が蓄積していた。値上げは、その不満の爆発点になった。

エクアドル(2019年10月):モレノ政権はIMFとの約42億ドルの支援合意に沿い、大統領令883号で燃料補助金の撤廃を打ち出した。翌日には燃料価格が急騰し、先住民団体や労働組合を中心に激しい抗議が全国で噴出した。約12日間にわたって国が麻痺し、7人が死亡したと報じられた。政権は2019年10月14日、大統領令883号を撤回して補助金を元に戻すことで事態を収拾した。

エクアドルのケースが示す教訓は二つある。一つは「外圧(IMF条件)による削減」への反発が特に激しい点。国民から見れば、自国政府が外国機関の命令に従って生活を悪化させた、という構図になる。もう一つは「一度始めた補助金は政令一枚では撤廃できない」という現実だ。大統領令883号は翌日には事実上機能しなくなり、12日後には正式に撤回された。政令で生活コストを一夜にして変えることへの反発が、いかに激しいかを世界に示した事例だ。

削減に成功した例はないのか

失敗例ばかり見ると補助金改革は不可能に思えるが、段階的な移行で一定の成果を上げた事例も存在する。

重要な発想の転換は、「補助金を取り上げる」のではなく「補助金の形を変える」というものだ。燃料価格を段階的に引き上げる一方で、削減で浮いた財源を低所得層への現金給付や社会保障に直接振り向ける。「安い燃料という恩恵」を「現金という恩恵」に置き換えることで、総量としての支援を減らさずに、恩恵の分配をより公平にしようとする試みだ。

このアプローチには課題もある。「現金はもらえたが、物価が上がったので生活は苦しくなった」という実感との乖離が生じやすい。政府が改革の意義を丁寧に説明できなければ、補完策があっても不満は募る。

成功した改革に共通するのは、十分な移行期間を設け、国民に事前に説明し、補完策をセットで打ち出すことだ。「突然の発表」「一夜の値上げ」は、たとえ補完策があっても怒りを生む。イランもエクアドルも、まさに「突然」だったことが爆発点になった。逆にいえば、「いつ、どのように、何と引き換えに」を先に示せるかが、改革成否の分岐点になる。

補助金政治のジレンマ——なぜ「分かっていても止められない」のか

ここに、補助金という制度の普遍的な難しさが凝縮されている。

配るのは一瞬、剥がすのは激痛:一度「当たり前」になった安さは、国民の生活設計に深く組み込まれる。ガソリンが安いことを前提にした産業構造、通勤距離、物流システムが出来上がる。そこから補助を外すと、単なる値上げではなく「前提の崩壊」として受け取られる。削減は増税より重い痛みとして社会に伝わる。

財政の持続不可能性:油価が上昇するほど、価格差を埋める補助の絶対額は膨らむ。産油国であっても、補助金は国家財政を長期的に圧迫する。医療・教育・インフラへの支出が圧迫されても、燃料補助だけが聖域として守られ続ける。財政の硬直化が進むほど、改革の余地は狭まる。

恩恵の見えにくさ:補助金の恩恵が富裕層に偏っている事実は、受益者には見えにくい。「全員が安く使えている」という平等感が政治的な守りとなり、問題の可視化を妨げる。補助の不公平さを数字で示しても、「それでも安い方がいい」という感情には勝てない。

政治サイクルとの不一致:財政への打撃は長期的に蓄積するが、補助削減の痛みは即座に現れる。選挙を控えた政権は、長期的な財政健全化より目前の支持率を優先する。「分かっていても止められない」のは、政治家個人の意志の問題ではなく、選挙という制度が生み出すインセンティブの問題でもある。

「出口をどう描くか」が補助金設計の肝

産油国の数円ガソリンは、単なる豆知識ではない。「補助金は、始めるより終わらせる方がはるかに難しい」という、あらゆる補助金制度に通じる教訓の最も極端な標本だ。

補助金を設計する際、しばしば「誰に・いくら・いつ出すか」に議論が集中する。しかし同じくらい重要なのが「いつ・どうやって終わらせるか」だ。出口を設計せずに始めた補助金は、やがて財政の地雷原になる。

イランもエクアドルも、出口戦略を持たずに何十年も補助を続けた結果、「削除できない構造」を作り上げてしまった。補助金の受益者は、時間が経つほど補助を「権利」として認識するようになる。そして「権利を奪う」政策への抵抗は、単なる値上げへの反発をはるかに超える激しさを持つ。

これは日本の補助金制度でも無縁ではない話だ。補助金を活用する事業者にとって、「この支援がいつか終わること」を前提に事業計画を立てることが重要だ。補助が続くことを前提にした経営は、補助が消えた途端に崩れる。出口から逆算して、補助を活用しながら自立可能な構造を早期に作ることが、補助金活用の本質といえる。世界の極端な事例は、離れた話のように見えて、その原理を最も分かりやすい形で教えてくれる。

まとめ

リビア・イラン・ベネズエラのガソリンは1リットル数円、日本の30〜47分の1で、まさに水より安い。それを支える燃料補助金は世界で年間数兆ドル規模に達し、国家財政を静かに、しかし確実に圧迫し続ける。

補助は富裕層に厚く分配され、環境コストを無視し、財政を侵食する。しかし削減を試みれば、イランでもエクアドルでも街が燃え、死者が出た。安さは福祉であり、同時に外せなくなった枷でもある。

補助金を設計する側に立つなら——あるいはその補助を活用しようとする側に立つなら——「出口をどう描くか」を最初から考えておくことが、どれほど大事か。世界の極端な事例が、それを雄弁に教えてくれる。

出典

よくある質問

Q. 「明示的な補助金」と「暗示的な補助金」はどう違いますか?

A. 明示的補助金は政府が燃料を供給コスト以下で販売することで生じる直接の財政支出で、2024年時点で世界全体で約7,250億ドルと推計されている。暗示的補助金はCO2排出や大気汚染の環境・健康コストなど、本来課税すべきコストが放置されている部分を補助金と見なすもの。両方を合算した2022年の世界総計は約7兆ドルとIMFは試算しており、見えないコストがいかに巨大かを示している。

Q. 燃料補助金は本当に「貧しい人を助ける」制度なのですか?

A. 必ずしもそうではない。燃料を多く使うほど恩恵が大きくなる構造上、複数の車を持ち遠距離を移動する富裕層や大企業の方が多くの補助を受け取る傾向がある。IMFをはじめ多くの国際機関が「燃料補助金は逆進的(regressive)だ」と指摘するのはこのためだ。「みんなの安さ」という政治的な包装紙の下に、不平等な恩恵の分配が隠れている。

Q. 補助金削減に成功した国はないのですか?

A. 段階的な引き上げと低所得層への現金給付を組み合わせた方式など、一定の成果を上げた事例は存在する。重要なのは「補助金を取り上げる」のではなく「補助金の形を変える」という発想だ。成功の鍵は十分な移行期間と丁寧な説明にある。イランもエクアドルも「突然の発表・一夜の値上げ」だったことが失敗の核心であり、逆にいえば「いつ・何と引き換えに」を先に示せるかが改革の分岐点になる。

Q. この記事は日本の補助金制度とどう関係しますか?

A. 直接の関係はないが、「始めるより終わらせる方がはるかに難しい」という原則は日本の補助金でも共通する。補助金を利用する事業者にとって大切なのは、補助が終わることを前提に事業計画を立てることだ。出口から逆算して自立可能な構造を早期に作ることが補助金活用の本質。日本の補助金の基礎は[はじめての方へ](/guide)で確認できる。

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