補助金の
番外編『世界の補助金から』

燃やすほど儲かる補助金——北アイルランド自治政府を倒した「Cash for Ash」

執筆:小嶋 譲司株式会社TOE 代表取締役 読了 約8情報時点:2026年8月11日
燃やすほど儲かる補助金——北アイルランド自治政府を倒した「Cash for Ash」

結論

  • 北アイルランドのRHI(再生可能熱インセンティブ)は、補助金単価が燃料実費を上回るという根本的な設計欠陥により「加熱し続けるほど収益が出る」構造となり、2011〜2015年の当初予算2500万ポンドに対して財政リスクが約5億ポンドに達すると報告された。
  • 2013年・2014年に内部告発で制度の欠陥が指摘されたにもかかわらず担当省庁はこれを無視し、スキャンダルが公になった2016年11月以降も担当大臣アーリーン・フォスターが辞任を拒否したことで政治的対立が深まった。
  • 2017年1月にSinn Féinの副首相マーティン・マクギネスが辞任したことで北アイルランド法上の連鎖が起動し、行政府が崩壊。議会は解散となり、自治政府は約3年間にわたって機能を停止した。

「再生可能熱」を普及させるはずだった制度の誕生

2012年、北アイルランドの企業・貿易・投資省(DETI)は再生可能熱インセンティブ(RHI)を発足させた。制度を主管したのは、当時のDETI大臣であり民主統一党(DUP)に所属するアーリーン・フォスターだ。

制度の目的は明快だった。木質ペレットを燃料とするバイオマスボイラー、太陽熱ポンプ、ヒートポンプといった再生可能な熱源を、事業者や非家庭用の建物に普及させること。北アイルランド政府が掲げた施政方針(Programme for Government)には、再生可能エネルギーの数値目標が盛り込まれていた。2015年時点で熱エネルギーの4%、2020年時点で10%を再生可能資源で賄うという目標だ。RHIはこの目標を達成するための中心的な政策手段として、行政府の大臣たちに承認された。

制度の設計は一見シンプルだった。対象者が再生可能エネルギーで建物を暖めれば、政府が燃料費を補填し、さらに約12%の利幅が参加者の手元に残るよう設計されていた。参加者がボイラーや熱源設備への初期投資を回収できるだけの余裕を制度に持たせるという発想だ。2011〜2015年の予算枠は2500万ポンドとされた。この設計意図そのものは理解できる。しかし「約12%の利幅」という設定が、後に制度を根底から崩す設計ミスとなることを、担当省庁は見通せていなかった。

なぜ「燃やすほど儲かる」のか——コスト上限なき補助金の論理

RHIの根本的な欠陥は「使用量に応じた上限コントロールの欠如」だ。

通常、補助金制度には「一定量を超えると補助率が逓減する」仕組みや「年間上限額」が設けられる。使えば使うほど補助額が減っていく構造があれば、過剰利用のインセンティブが自然と抑制される。しかしRHIにはそのような逓減制も上限も存在しなかった。

補助金の単価が燃料の実費を上回っていたため、参加者は使えば使うほど利益を得た。木質ペレットを買う費用よりも、ボイラーを稼働させることで受け取る補助金のほうが多い。ならば、ボイラーを止める理由がない。以前は暖房を入れていなかった建物に設備を設置し、稼働させ続けることが純利益を生む「事業モデル」となった。

内部告発者が報告したように、補助金目当てで「以前は暖められていなかった建物」が暖められるようになった。農業用の物置、ほとんど使われない倉庫——本来の政策意図とはかけ離れた用途でボイラーが動き続けた。制度が意図した「再生可能エネルギーへの移行促進」ではなく、「エネルギーの浪費を奨励する補助金」として機能した。この逆説が「Cash for Ash(灰のための現金)」というスキャンダルの呼称を生んだ理由だ。

比較項目制度設計の想定実際に起きたこと
対象用途事業用建物への再生可能エネルギー導入以前は暖房のなかった建物も稼働対象に
インセンティブ効果初期投資の回収を支援する使用量が増えるほど利益が出る構造
予算規模(2011〜2015)2500万ポンド2014〜2015年度は1500万ポンド未消化
財政リスク(報告値)予算内に収める想定約5億ポンドに達すると報告
制度閉鎖計画的終了2016年2月、後任大臣ベルが緊急閉鎖

静かな黎明期——なぜ制度は当初「問題なし」に見えたか

発足から数年間、RHIは目立たない存在だった。2014〜2015年度には利用が低迷し、予算2500万ポンドのうち1500万ポンドが使われないまま残った。担当省庁にとっては「関心を持ってもらえない制度」に映っていた可能性が高い。利用促進こそが課題であり、「利用されすぎる」リスクは視野に入っていなかったのかもしれない。

状況が一変したのは2015年4月だ。この時期から申請件数が「著しく」増加し始めたと記録されている。さらに決定的だったのは、制度変更の告知後に殺到した駆け込み申請だ。2015年9月から11月のわずか2か月余りで984件の申請が寄せられた。制度変更(補助率の引き下げなど)が適用される前に申請を終えておこうとした参加者が一気に動いたと考えられる。

この急増が示すのは、参加者たちが制度の「旨み」を十分に認識しており、補助率が下がる前に権利を確保しようとしていたという現実だ。制度を使い倒せる期間が限られていると知った途端に殺到するのは、制度が「得をする仕組み」として参加者に広く認知されていた証拠だ。しかし制度を運営する側がこの急増を財政リスクの警告として読み取り、即座に対処した形跡はない。黎明期の「低迷」が安心感をもたらし、急増への対応を遅らせた可能性がある。

警告は届いていた——2度の内部告発と無視された懸念

RHIスキャンダルが「制度設計の失敗」にとどまらず「ガバナンスの失敗」として語られる核心は、内部告発の存在とその帰結にある。

問題への懸念は2013年に初めて提起された。翌2014年には内部告発者がフォスター大臣に直接連絡を取り、制度が「欠陥品だ」と訴えた。告発者は、以前は暖房を入れていなかった建物が補助金目当てで加熱されているという具体的な事例を示し、担当官の懸念が「無視されている」とも述べた。

10人の職員からなる調査チームが告発内容を検討したとされる。しかし調査の結果として制度が是正されることはなかった。「懸念は無視された」という記録だけが残っている。なぜ調査が修正措置につながらなかったのか——この問いは、のちに設置された公的調査委員会の主要テーマとなった。

2013年と2014年の2度にわたって内部から警告が発されたにもかかわらず、制度設計は修正されなかった。もしこの時点で使用上限が導入されていれば、2015年以降の申請急増が財政的な大惨事に発展することはなかった。「知っていたのに動かなかった」という事実は、補助金制度において内部告発が実際に制度修正につながるルートを整備することの重要性を浮き彫りにしている。告発を「受け取ること」と、それを「制度の是正に活かすこと」は、別物だ。

制度の強制終了——2016年2月、後任大臣が下した決断

フォスターの後任としてDETI大臣に就いたジョナサン・ベルは、2016年2月にRHI制度を正式に閉鎖した。閉鎖の理由としてベルが挙げたのは「今後20年間にわたる北アイルランドのブロックグラント(英国政府からの交付金)への著しい財政リスク」だった。

「今後20年間」という言葉は重い。制度を閉じても、すでに認定を受けた参加者への支払いは制度の規定に従って継続される。入口を閉じても、出口からの流出は止まらない。最終的に報告された財政リスクは約5億ポンド。当初予算2500万ポンドの約20倍だ。

制度閉鎖から数か月後の2016年11月、スキャンダルが公に報道された。このとき、かつてDETI大臣としてRHIを立ち上げたアーリーン・フォスターは、北アイルランドの首相(First Minister)の座に就いていた。制度の設計責任者が行政の頂点にいるという構図が、政治的対立に直接火をつけた。

政治的嵐——「辞任拒否」が連鎖崩壊の引き金を引く

スキャンダルが表面化した2016年11月以降、連立パートナーのSinn Féinや野党は、フォスターに対して少なくとも調査が終わるまで職務を停止するよう求めた。しかしフォスターはこれを拒否した。「辞任や職務停止は何らかの過失を認めることになる」という論拠だった。

この「辞任拒否」こそが、行政的スキャンダルを政治的崩壊へと転化させた最大の要因だ。

北アイルランドの統治構造を理解するには、1998年の北アイルランド法に基づく権力分有(パワーシェアリング)の仕組みを押さえる必要がある。議員は「ユニオニスト」「ナショナリスト」「その他」のいずれかの立場を自己申告する。重要な決議には「ペティション・オブ・コンサーン(懸念申立)」という制度があり、30人の議員が提出すれば、その決議はユニオニストとナショナリスト双方の多数派支持を要するクロスコミュニティ投票に付される。行政府(Executive)は、ユニオニスト最大政党とナショナリスト最大政党がそれぞれ首相・副首相を出す共同運営体制だ。2016年時点ではDUPが首相を、Sinn Féinが副首相を出していた。

北アイルランド法上、首相と副首相は「共同の職」だ。どちらか一方が辞任すれば、もう一方も自動的に失職する。もし7日以内に空席が埋まらなければ議会全体が解散となる——これが制度的な「引き金」だった。フォスターの「辞任しない」という判断は、連立パートナーに対し「ならば副首相を辞める」という選択肢を突きつけることになった。

マクギネス辞任——10年の任期に幕を引いた決断と連鎖崩壊

2017年1月、Sinn Féinの副首相マーティン・マクギネスが辞表を提出した。マクギネスは10年間この職を担い続けてきた。辞任理由は複合的で、フォスターが調査期間中も職務を継続することへの抗議と、DUPの「傲慢さと不敬意」への批判が中心にあった。

マクギネスの辞任は即座に法的メカニズムを起動させた。副首相の空席を埋めるために与えられた7日間——しかし2017年1月16日、Sinn Féinは副首相の再指名を拒否した。理由として掲げたのはやはり「DUPの傲慢さと不敬意」だ。7日間の期限が過ぎ、条件が満たされないまま、北アイルランド行政府は崩壊した。

北アイルランド議会は2017年1月26日に解散した。同年3月2日、臨時総選挙(スナップ選挙)が実施された。しかし選挙後も各党の交渉はまとまらず、新たな行政府は発足しなかった。自治政府の空白は長期化し、約3年間にわたって北アイルランドの民主的自治機能は停止状態に置かれた。

補助金制度の設計ミスが、ひとつの政府を3年間機能停止させた。RHIスキャンダルが「行政史上まれに見る事例」として記録されるのは、金銭的な損失だけでなく、民主的統治そのものへの打撃が甚大だったからだ。

2020年1月11日、アイルランド・英国両政府が提案した「新たな十年、新たなアプローチ(New Decade, New Approach)」協定を基礎として、各党が再集結し、自治政府はようやく再始動した。

公的調査——事実の確定まで3年

2017年2月1日、RHIスキャンダルに関する公的調査が正式に開始された。対象は制度設計の欠陥、内部告発への対応、政治的意思決定の過程、関係者の責任の所在など多岐にわたった。

調査は約3年を要し、最終報告書は2020年3月13日に公表された。これは行政府崩壊から約3年後、自治政府再始動からわずか2か月後のことだ。

調査期間中にも政治的な波紋は続いた。議会の召喚、信任投票、議長の中立性をめぐる議論、DUPの関係者と制度受益者との縁故疑惑——複数の政治的局面が同時並行で展開した。RHIスキャンダルは、個別制度の失敗という枠を超え、権力分有体制そのものの脆弱性と、政治家が行政上の過失に対してどこまで説明責任を負うべきかという問いを北アイルランド社会に突きつけた。

日本の補助金制度への示唆

「補助金単価が実費を上回っていないか」「内部告発を受け取るだけでなく、制度修正に結びつける経路が実際に機能しているか」——RHIの事例は、コスト上限と内部告発の機能的な出口という2つの安全弁が設計段階で欠けると、補助金が「支援」から「浪費の奨励」に変わりうることを示している。制度を設計する側が「利用が少ない」ことを問題視する一方で、「利用されすぎる」リスクを同時に設計できているかどうかが問われる。

出典

よくある質問

Q. RHI(再生可能熱インセンティブ)とはどのような補助金制度だったのですか?

A. 2012年に北アイルランドの企業・貿易・投資省(DETI)が導入した補助金制度です。バイオマスボイラーや太陽熱ポンプなどの再生可能熱源を事業者に普及させる目的で、燃料費に加えて約12%の利幅が参加者に残るよう設計されていました。2011〜2015年の制度予算は2500万ポンドとされていました。

Q. 「Cash for Ash(灰のための現金)」とはどういう意味ですか?

A. 補助金の単価が燃料の実費を上回っていたため、ボイラーを稼働させ続けるほど収益が増える構造になっていたことを皮肉った呼称です。以前は暖房を入れていなかった建物にも設備を設置して稼働させ続けることが利益を生む「事業」となり、木質ペレット(燃やすと灰になる)を燃やせば燃やすほど現金が入る状況を指しています。

Q. 内部告発はなぜ制度の修正につながらなかったのですか?

A. 2013年に懸念が提起され、2014年には内部告発者が直接フォスター大臣に連絡を取りましたが、10人の職員からなる調査チームが検討した後も「懸念は無視された」とされています。なぜ告発が是正措置につながらなかったかは、のちに設置された公的調査委員会が主要テーマとして取り上げ、2020年3月に報告書が公表されました。

Q. 北アイルランドの自治政府が崩壊してから再始動するまで何年かかりましたか?

A. 2017年1月26日に議会が解散して自治政府が機能停止し、2020年1月11日にアイルランド・英国両政府が提案した「新たな十年、新たなアプローチ」協定を基礎として再始動するまで、約3年間にわたって北アイルランドの民主的自治機能は停止状態に置かれました。

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