補助金の鬼
番外編『世界の補助金から』

補助金のために走らない車を作った——中国EV補助金の「騙補」問題

執筆:小嶋 譲司(株式会社TOE 代表取締役) 読了 約16分情報時点:2026年8月30日
補助金のために走らない車を作った——中国EV補助金の「騙補」問題

結論

  • 中国のEV補助金制度下では「走らない車に補助金を請求する」架空申告(騙補)が横行した。Wikipediaの中国EV産業記事はこの問題を「Sales registration inflation(販売台数の架空申告)」として「Controversy」節で独立項目化している。
  • 補助金の甘い構造に引き寄せられたEVメーカーは2019年に約500社(Bloomberg調べ)を数えたが、制度の厳格化と競争の激化を経て2023年には約100社(Bloomberg調べ)に絞られた。
  • 市場全体のプラグインEV比率は2020年の6.3%から2024年には47.9%へと拡大した。制度の歪みを修正しながらも補助金政策は結果として機能し、2024年には世界のEV生産の70%以上・世界販売の67%を占める巨大産業を育て上げた。

補助金という名の火薬庫

中国政府がEVの普及を急いだ背景には明確な戦略があった。大気汚染の改善、石油依存からの脱却、そして次世代産業の主導権確保。これらを一挙に達成する手段として補助金政策が組み込まれた。

政府が掲げた目標は数字で示されていた。プラグインEV(BEVとPHEVの合計)の市場シェアを2025年末までに20%に引き上げること。2020年時点でそのシェアはわずか6.3%であり、目標達成には急加速が必要だった。補助金の規模は必然的に大きくなった。

注目すべきは制度の構造にある。補助金の受給要件は「販売台数」に連動しており、「多く売るほど多く受け取れる」という設計になっていた。さらに、航続距離や蓄電容量などの技術仕様によって補助金額が段階的に変わる仕組みだったため、「要件を満たすように設計された車両」と「実際に消費者に使ってもらうための車両」の設計目標が乖離しやすかった。

加えて、申請審査が販売記録の書面確認に依存しており、実際に車両が消費者の手に渡って使われているかを追跡する仕組みが当初は不十分だった。このことが「書類上の販売」を可能にした土台となった。製品を市場に届けることよりも補助金を受け取ることだけを目的とした参入者を引き込んだのは、この構造的な誘因があったからだ。

走らない車が生まれた仕組み

「騙補」とは補助金を騙し取る行為を指す。中国語の「騙」は「だます」、「補」は「補助金」を意味する。言葉そのものが示すとおり、この問題は補助金制度の根幹を揺るがすものだった。

手口1:架空販売申告

最も基本的な手口は架空の販売申告だ。車両を製造して「販売した」と書類上に記録し、実態のない販売台数をもとに補助金を請求する。補助金を受け取った後、車両は走ることなく倉庫に置かれる。走行距離計はゼロのまま、統計上は「市場に供給されたEV」として計上され、メーカーは実態のない収益を得る。

手口2:グループ内転売による水増し

グループ内の子会社や関連会社へ転売を繰り返すことで販売件数を水増しするケースもある。形式上の所有権移転が繰り返されるが、車両は実際のユーザーの手に渡らない。各転売で書類が生成されるため、外部からは通常の販売取引に見えた。

手口3:要件ぎりぎり設計

より巧妙な手口として、「補助金受給要件を満たすように最適化された車両」の量産がある。航続距離が長いほど補助金が多い仕組みのため、カタログスペック上の航続距離だけを満たし、実際の使用環境での性能を度外視した設計がなされた。補助金は受け取れるが、消費者の実用に耐えない品質の車両が流通した。

これらの不正を支えたのは、申請審査の網の目に抜け穴があったこと、そして補助金の単価が不正の「採算」を成り立たせるほど大きかったことだ。走るための車ではなく、書類の上だけで走る車が生産ラインを埋めた時期があった。

Wikipediaの中国EV産業記事(第5節「Controversy」、項目5.1「Sales registration inflation」)はこの問題を独立した節として記録しており、業界全体の課題として公的に認識されていたことを示している。

当局はどう制度を修正したか

不正の横行を受けて、中国当局は複数の対策を段階的に講じた。制度の修正は「不正発覚→要件強化→新たな抜け穴→さらなる強化」というサイクルを経て進んだ。

技術要件の引き上げ:補助金の受給対象となる車両の航続距離・蓄電容量などの技術仕様要件を段階的に引き上げた。これにより、「補助金目的だけの粗製車両」が受給要件を満たせなくなった。要件の底上げは、本物の技術力を持つメーカーとそうでないメーカーの差を広げた。

補助金単価の引き下げと逓減スケジュールの明示:補助金額を段階的に引き下げるスケジュールをあらかじめ公表することで、「補助金がなくても採算が取れる規模とコスト競争力を持つ企業」だけが生き残れる環境を作った。不正で得られる絶対額が減れば、不正の採算も悪化する。

実走行データの追跡義務化:車両が実際に走行しているかを確認するため、走行距離データの報告義務が導入された。走行距離ゼロのまま放置されている車両が補助金申請に使われていないかをチェックする仕組みが強化された。これにより、「倉庫に眠る走らない車」が補助金の根拠として使われることが難しくなった。

取り締まりと返還請求:当局は不正が発覚した事業者に対して補助金の返還と罰則を科した。摘発事例が公表されることで、他の事業者への抑止効果も狙った。

これらの対策が重なることで、制度の目的外利用を事業モデルとしていた企業の退出が加速した。

参入企業の爆発と淘汰

時点EVメーカー数(概数)出典
2019年約500社Bloomberg
2023年約100社Bloomberg
2023年(別集計)約300社(国内外含む)Wired

BloombergとWiredの数字が大きく異なる背景には集計基準の違いがある。前者は純粋な中国系メーカーを対象とし、後者は外資系も含めた「中国市場でEVを扱う企業」を集計しているためと考えられる。いずれの数字を取っても、2019年時点の乱立状態から4年でメーカー数が大幅に減少したという事実は変わらない。

2019年に約500社が存在した状況は、産業の健全な発展とは言いがたかった。製造能力や技術力を持たないまま参入した企業が相当数含まれていたとされる。退場した企業の多くは、補助金の消滅とともに製品競争力がゼロになるという構造的な弱さを抱えていた。

淘汰が進んだ理由は複合的だ。以下の圧力が同時に作用した。

淘汰圧内容
補助金の段階的削減収益源が年を追うごとに縮小
技術要件の引き上げ粗製品が受給対象外へ
価格競争の激化BYD等の大手が市場価格を押し下げ
取り締まりの強化不正リスクが上昇し採算が悪化
消費者の選択眼の向上品質の低い製品が売れなくなる

これらが同時に進行することで、実質のない企業が退場を余儀なくされた。国内市場での価格競争が激しくなると、コスト競争力も技術力も持たない企業は選択肢がなかった。

生き残った企業が市場を形成した

淘汰を経て残ったのは製品力と生産規模を持つメーカーだった。2024年時点でBYD AutoとSAIC Motorが中国プラグインEV市場の上位1・2位を占め、上位7社中5社が中国企業だった。

激烈な競争の中で鍛えられたこれらの企業は、国際市場への進出も本格化させた。2025年の輸出台数は262万台超を記録した。電気バスでは、2024年時点で世界在庫の95%にあたる50万台超が中国で保有された。2023年の商用EV新規販売は44万7千台を記録した。

EVの市場シェアの推移を見ると、制度修正の効果が数字に現れている。

時点プラグインEV市場シェア
2020年6.3%
2022年3月(月次)28%
2024年47.9%
2025年51%(国内自動車販売全体)

BYDの王伝福会長は2022年時点で「年末のNEVシェアが35%に達する可能性がある」と発言した。政府が2025年の目標として掲げた20%を数年先取りする形で、市場は急成長を遂げた。この急成長は不正の横行と制度修正の歴史を経た後でも続いたことを意味する。

世界最大の産業になるまで

2025年、中国での乗用EV販売台数はCAEM集計で1,649万台に達した。2024年には世界のEV生産の70%以上、世界販売の67%を中国が占めた。2025年には国内自動車販売の51%がEVという水準に達した。

騙補問題は制度の深刻な欠陥を示すものだったが、それを修正しながら進んだ補助金政策は結果として機能した。不正参入者が退場し、本物の競争力を持つメーカーが残ることで、世界を席巻する産業が形成された。制度設計の観点からは「失敗しながら走った」事例に分類されるかもしれないが、その走り方が結果として世界最大のEV産業を育てたことは否定しにくい。

「正しく走ること」より「速く走ること」を優先した結果、不正という岩に激突しながらも、その衝撃を制度改革のエネルギーに変換した——これが中国EV補助金の正確な描写だろう。

日本の制度設計への示唆

中国のEV補助金は「スピードを優先し、不正リスクは後から修正する」アプローチの典型だった。申請審査の厳密さよりも市場の立ち上がりを優先し、競争と規制の強化によって不正参入者を退出させた。補助金制度において「審査の厳密さ」と「普及加速のスピード」は本質的にトレードオフの関係にある。中国の事例は、その選択が産業の成長規模と不正の規模の両方を同時に左右することを示している。

日本の補助金設計者が中国の事例から学べる点を整理する。

不正が起きやすい条件のチェックリスト

リスク要因中国での事例日本の類似リスク
申請と実使用の乖離販売書類のみで受給、実走行不問要件達成の書面確認だけで終わるケース
補助金単価が高すぎる不正の採算が合う水準単価と審査コストのバランスが崩れる
出口要件の不在受給後の追跡なし事後確認・報告義務の欠如
審査能力の不足大量申請に審査が追いつかない申請数増加時の審査体制が手薄

制度修正の教訓:順序に注目する

中国の修正が辿った順序は示唆に富む。

  1. まず市場を作る:不完全でも補助金を打ち出し、参入者を引き込む。
  2. 不正が表面化する:審査の網から漏れた事業者が架空申告を始める。
  3. 要件を厳格化する:技術水準を上げ、実使用データの確認を義務化する。
  4. 単価を引き下げる:補助金なしでも採算が取れる事業者だけが残る。
  5. 産業が自立する:補助金依存から脱した真の競争力が育つ。

このサイクルを「失敗」と呼ぶか「学習」と呼ぶかは立場による。ただし、設計段階から「不正の採算が合わない単価設定」と「実使用の事後確認」を組み込んでおけば、同じサイクルを短縮できる可能性がある。審査の厳格化はスピードを犠牲にするが、不正による財政損失と制度の信頼失墜のコストと比較した場合、どちらが高くつくかは一概には言えない。中国は「スピードを選んで後から厳格化した」。その選択が何を生み出したかは、数字が示すとおりだ。

出典

よくある質問

Q. 騙補はなぜ長期間放置されたのか?

A. 申請審査が販売書類の確認に依存しており、車両が実際に走行しているかを追跡する仕組みが当初は不十分だった。大量の申請を精査する審査体制も不足しており、不正が発覚しても制度全体の修正に時間がかかった。補助金の単価が高く不正の採算が合う構造も、問題の長期化を後押しした。

Q. 約500社から約100社への淘汰はどのくらいの期間で起きたか?

A. Bloombergの集計によれば、2019年時点で約500社存在したEVメーカーが2023年時点で約100社に絞られており、約4年間で約400社が退場した計算になる。ただしWiredの別集計では外資系を含め2023年時点でも約300社が存在しており、集計対象の範囲によって数字は大きく異なる。

Q. 補助金政策が「失敗しながら機能した」と言える根拠は何か?

A. プラグインEVの市場シェアが2020年の6.3%から2024年には47.9%へと拡大し、2025年には国内自動車販売の51%がEVに達したことが根拠の中心だ。政府が2025年末までの目標として掲げた20%を大幅に上回り早期に達成した。同期間に中国は世界のEV生産の70%以上・世界販売の67%を占める産業規模に成長した。

Q. 日本の補助金制度でも同様の不正リスクはあるか?

A. 制度設計次第でリスク水準は変わる。申請と実使用の乖離、補助金単価と不正採算の関係、受給後の事後確認体制の三点が特に重要だ。中国の事例が示した「技術要件の引き上げ」と「実使用データの追跡義務化」を設計段階から組み込めば、同じ問題を後追いで修正するコストを減らせる可能性がある。

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