補助金の鬼
番外編『世界の補助金から』

赤字と分かっても止められなかった——コンコルドと「サンクコストの誤り」

執筆:小嶋 譲司(株式会社TOE 代表取締役) 読了 約12分情報時点:2026年9月20日
赤字と分かっても止められなかった——コンコルドと「サンクコストの誤り」

結論

  • 1962年の英仏条約締結時、コンコルドの開発費は£7000万(2025年換算で約£17.7億)と見積もられた。1976年の就航時点での実績は£15億〜21億(2025年換算で£120億〜167億)に膨張し、当初見積もりの21〜30倍に達した。
  • 当初350機の市場需要が見込まれ、主要航空会社から最大100機のオプション受注が予測されたが、実際に商業運航した機体はエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズへの各7機、計14機にとどまった。総製造数も20機(1965〜1979年)に過ぎなかった。
  • 「すでに払ったコストが惜しいから続ける」というサンクコストの誤りに、国家間条約特有の政治的拘束が重なり、経済合理性を失った後も計画は継続された。

「不可能」という評価から始まった計画

コンコルド計画の起点は1954年2月、英国・王立航空研究所(RAE)所長のアーノルド・ホールがモリエン・モーガンに委嘱した超音速輸送機(SST)研究委員会にある。1955年4月に公表された最初の報告書の結論は端的だった——「SSTの実現は不可能と見なす」。

技術的な障壁を明確に示したのは、NASAの前身であるNACAのロバート・T・ジョーンズの研究成果だった。超音速飛行では翼幅が大きいほど抵抗が増大する。したがって翼を短く細くせざるを得ないのだが、短い台形翼では低速時の揚力が不足し、離着陸に莫大な推力と燃料が必要になる。報告書はその結果について「ひどく大型の機体になってしまう」と評し、当面は低水準の超音速空気力学の研究にとどめることを勧めた。

「SSTは不可能」という評価を下した委員会からわずか7年後の1962年、英仏両政府は共同開発条約に署名する。当初の開発費見積もりは£7000万、2025年価値に換算すると約£17.7億だった。この数字がいかに楽観的であったかは、以後の経緯が証明することになる。

コストの膨張——7000万が21億になるまで

時点開発費(当時の額)2025年換算当初比
1962年(条約締結時・見積もり)£7,000万約£17.7億1倍
1976年(就航時・実績)£15億〜21億£120億〜167億21〜30倍

6機の試作機製造は1965年2月に始まり、初飛行は1969年3月2日にトゥールーズで行われた。商業運航の開始は1976年1月21日。条約締結から就航まで14年を要した。

14年の開発期間の間に何が起きていたのか。コストが積み上がり、需要予測が楽観的と判明し始めるたびに、プロジェクトは「撤退か継続か」の岐路を迎えた。しかしそのたびに継続が選ばれた。その選択を強く方向付けたのが、条約という制度設計だった。

条約という「引き返せない仕掛け」

1962年の英仏条約は、コンコルドをたんなる商業プロジェクトから、二国間の政治的コミットメントへと格上げした。企業が主体のプロジェクトであれば、経営判断で中止を決議できる。しかし国家間の合意に基づくプロジェクトでは、撤退の決定が外交問題として扱われる。

「止める」という判断に要するコストが、通常の商業プロジェクトとは比べ物にならないほど高くなった。撤退すれば「英仏の特別な関係」を損なうと受け取られかねない。国家的威信と外交的信頼が賭け金になると、経済合理性だけで意思決定できなくなる。

しかも費用が積み上がるほど、この構造は強化される。£7000万を支出した時点での撤退と、£5億を支出した時点での撤退では、後者のほうが「諦めた」という印象が強くなる。すでに払ったコストは回収不能(サンク)であり、将来の意思決定に影響を与えるべきではないというのが経済学の基本原則だ。にもかかわらず、累積コストが大きくなるほど「今さら止められない」という心理が強まる——これがサンクコストの誤りの本質であり、コンコルドはそれを国家規模で体現した。

サンクコストの誤りを深掘りする

「サンクコスト(sunk cost)」とは、すでに支出されて回収できないコストのことだ。古典的な例は映画館のチケットだ。1500円払って入場したが、序盤からひどくつまらなかったとする。合理的な判断は「残りの時間で別のことをするほうが価値がある」と退場することだ。しかし多くの人は「せっかく払ったから」と最後まで居続ける。払ったお金は戻ってこない——それにもかかわらず、払ったという事実が行動を縛る。

コンコルドにおいてこのバイアスが特に強く働いた理由は三つある。

第一に、支出額の絶対値が大きすぎた。 個人の映画チケット1500円と、国家が積み上げた£15億以上では、「もったいない」という感覚の重さが根本的に異なる。議会や世論に対して「これまでに使ったお金は無駄だった」と認めることは、政治家にとって選挙リスクを意味した。撤退を決断すべき立場にあった人々の個人的なインセンティブが、プロジェクトの継続と合理的コスト評価の断絶を生んだ。

第二に、意思決定者が複数の国家にまたがっていた。 英国側だけで撤退を決めると「英国が逃げた」と受け取られ、フランスとの関係が悪化する。フランス側が主導して止めれば「フランスが諦めた」になる。合意による撤退には二国間の政治的決断が必要であり、そのハードルは単独企業の意思決定と比べ物にならなかった。

第三に、「もうすぐ回収できる」という楽観論が繰り返された。 開発費が膨らんでも「就航すれば採算が取れる」、就航後に需要が伸びなくても「路線を増やせば黒字になる」という前向きな見通しが、撤退の議論を先送りにした。この「もう少しで回収できる」という誤信念は、ギャンブルにおける「追い賭け」と同じ心理構造だ。損失を確定させたくないがゆえに、さらなる投入を続けてしまう。

350機の予測、14機の現実

計画当初のマーケット予測は350機。主要航空会社から最大100機のオプション受注が見込まれていた。

実際に機体を購入したのはエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみ、各7機の計14機だった。総製造数は20機(製造期間1965〜1979年)にとどまった。

需要が予測を大幅に下回った根本的な原因は、超音速飛行の地理的制約にある。コンコルドは音速の2倍で飛行距離の75%を巡航できたが、その際に発生するソニックブームが地上に届くため、超音速飛行は大洋上の区間に限定されなければならなかった。陸上を超音速で飛べない以上、市場は大西洋横断などのごく限られた長距離路線に絞られる。

当初の需要予測を支えていた前提——多くの航空会社が超音速路線を開設するという見込み——は、この制約によって根本から崩れた。さらに、1970年代の二度のオイルショックが燃費の悪い超音速機の経済性をさらに悪化させた。航空会社の財務担当者にとって、速さと引き換えにする燃料コストの増大は経営判断として容認しがたかった。

指標計画時予測実績
市場需要(機数)350機20機(製造総数)
商業運航機数最大100機オプション14機(各社7機)
就航期間—1976〜2003年(27年)

機体の特徴と競合の顛末

コンコルドは細長い胴体に92〜128席の4列座席を備え、オジーバル・デルタ翼と着陸時の視界確保のためのドループノーズ(機首を下げる機構)を特徴とした。推進はロールスロイス/スネクマ製オリンパス593ターボジェット4基で構成され、離陸と超音速加速にはリヒートを使用した。アルミニウム合金製で、アナログ式フライ・バイ・ワイヤ飛行制御を採用した最初の旅客機でもあった。

競合となりうる超音速旅客機は2機種あった。ソ連のツポレフTu-144は1977年11月に旅客輸送を開始したが、1978年5月の墜落事故後に運航を停止した。米国のボーイング2707はプロトタイプ完成前の1971年に計画が中止された。こうしてコンコルドは、実用化された超音速旅客機として事実上唯一の存在であり続けた。

しかし競合の消滅を「コンコルドの勝利」と読むことはできない。Tu-144の失敗とボーイング2707の中止は、超音速旅客機という市場カテゴリ自体の経済的困難を示していた。競合が撤退を選んだという事実は、むしろコンコルドの継続が合理的でなかった可能性を補強している。

就航から引退まで:27年間の軌跡

1976年1月21日、エールフランスがパリ・シャルル・ド・ゴール発、ブリティッシュ・エアウェイズがロンドン・ヒースロー発で同時に商業運航を開始した。大西洋横断が主力路線となり、ワシントン・ダレスへは1976年5月24日、ニューヨークJFKへは1977年10月17日に就航した。

転機は2000年7月25日に訪れた。エールフランス4590便がパリ郊外で離陸直後に墜落し、搭乗者109名と地上4名が死亡した。コンコルドとして唯一の死亡事故となり、商業運航は2001年11月まで停止された。

運航再開後も需要は回復せず、就航から27年後の2003年に全機退役が決定された。最後の商業飛行は2003年10月24日。ブリストル・フィルトン空港への最終飛行は2003年11月26日だった。製造された20機のうち18機が欧米各地の博物館に保存されている。

なぜ「止められなかった」のか——三つの構造的要因

サンクコストの誤りとは、回収不能な過去の投資が惜しくて、合理的には中止すべき事業を続けてしまう心理的・制度的バイアスだ。コンコルドはその典型例として、今も経済学のテキストに繰り返し登場する。出典から読み取れる構造的要因を三点整理する。

要因1:国家間条約が撤退の障壁を高めた。 英仏共同開発条約はプロジェクトに政治的・外交的な重みを付与した。コストが膨らむたびに「二国間の合意を覆すこと」か「赤字を承知で継続すること」かの二択を迫られる構造になっていた。企業なら損切りは経営の合理的判断だが、国家間合意の解除は外交問題に転化する。

要因2:積み上がった費用が「ここまで来たら」という圧力を生んだ。 £7000万が£15億になり、£21億になるたびに「今さら止めれば全部無駄になる」という言説が力を増した。しかし経済学的には、すでに払ったコストは将来の意思決定に無関係だ。判断すべきは「これ以降の追加費用が将来の便益を上回るか」だけだった。

要因3:楽観的な需要予測が適切なタイミングで修正されなかった。 350機という見通しが現実と乖離し始めても、「せっかくここまで来たのだから」という論理が撤退議論を封じた。国家的威信が絡む大型プロジェクトでは、需要予測の下方修正が政治的敗北として受け取られやすい。予測の見直し自体が「負けを認める」ことと同義になってしまう。

サンクコストの誤りを避けるためのチェックリスト

コンコルドの教訓は、大型プロジェクトや長期補助金制度の評価に直接的な示唆を与える。以下は、サンクコストの誤りに陥っていないかを確認するための問いだ。

チェック項目誤りのサインとなる答え
この判断の根拠に「これまでに使った額」を引用していないか「£15億も使ったから今さら止められない」
「これ以降の費用」と「これ以降の便益」を比較しているか「きっと将来は回収できる」(根拠不明)
需要予測を最新情報で更新しているか「最初の予測を変えていない」
撤退を選んだ場合のコストを具体的に試算しているか「なんとなく大変そう」で止まっている
撤退の判断を外部の視点でレビューできているか関係者だけで議論を完結させている

日本の大型公共事業や長期補助金制度においても、累積支出が大きくなるほど「埋没費用」として認識されにくくなり、撤退・縮小の判断が遅れやすい。予算を使い切ることが目的化し、事業効果の検証が後回しになる——こうした傾向はコンコルド問題の縮小版といえるかもしれない。

プロジェクト評価の軸を「これまでに使った額」ではなく「これからの費用対効果」に置く仕組みをあらかじめ設計しておくこと——コンコルドが60年越しに突きつけているメッセージは、今日の補助金制度や大型投資判断にも届いている。

出典

よくある質問

Q. サンクコストの誤りとはどういう概念ですか?

A. すでに支出されて回収できないコストが惜しいために、合理的には中止すべき事業を続けてしまう心理的・制度的バイアスです。映画チケットの例では、払ったお金は戻らないのに「もったいない」と最後まで見続けるのが典型で、意思決定の軸は「これからの費用と便益」のみに置くべきだという教訓です。

Q. コンコルドが商業的に成立しなかった最大の原因は何ですか?

A. ソニックブームの制約により超音速飛行が大洋上に限定され、市場が大西洋横断などごく限られた路線に絞られたことが主因です。当初350機と見込んでいた需要は就航機数14機に終わり、1970年代のオイルショックが燃費の悪い超音速機の経済性をさらに悪化させました。

Q. 国家間の共同プロジェクトで撤退が難しい理由は何ですか?

A. 企業と異なり、撤退の決定が外交問題として扱われるためです。コンコルドでは1962年締結の英仏条約により、単独で「止める」と言い出せない構造が生まれました。累積コストが増えるほど「今さら止められない」という政治的圧力が高まり、経済合理性による判断が封じられやすくなります。

Q. 補助金事業や公共事業でサンクコストの誤りを避けるにはどうすればいいですか?

A. 事業評価の軸を「これまでの累積支出額」ではなく「今後の費用対効果」に設定することが重要です。定期的な外部レビューで客観的な再評価の機会を設け、需要予測の前提が崩れた段階で計画変更・撤退を早期に判断できる仕組みをあらかじめ組み込んでおくことが有効です。

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